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【高品質ノニのふるさと】パラオ共和国の話

パラオ共和国はどこにある?

 

パラオ共和国は、東京から南に約3,000kmの南太平洋に位置する国で、火山島、海底から隆起した珊瑚礁によって形成された国際空港のあるバベルダオブ島、旧首都があった子ロール島を始めとする人が住む九つの島と、200以上の島々で構成されます。日本最南端の領土である沖ノ鳥島と九州パラオ海嶺でつながっています。

成田からの直行便で約5時間、日本の南に位置しているので時差はありません。

 

 

パラオの歴史

はっきりした記録がないので、いつ頃から人が住み始めたのは不明ですが、遺跡を研究したところ、紀元前一千年頃にはインドネシアから渡ってきた人が暮らし始めていたのではないかといわれています。

 

ノニの原産地はインドネシアと言われているので、海から流れ着いたもの以外にも、彼らが運んできたのかもしれません。

 

ヨーロッパへの門戸が開かれる

15世紀半ばから始まった大航海時代に南太平洋にもヨーロッパ人が訪れるようになり、この頃にスペイン人がやって来ていたのではないかと考えられています。

1783年、イギリス人ヘンリー・ウィルソン率いるアンティロープ号が、コロール島とペリリュー島の間のウーロン島付近の暗礁に乗り上げて難破し、ウィルソン船長とその部下たちは、船を修復する3ヶ月間滞在し、以来、多くの探検家がパラオを訪れ、この島は更なるヨーロッパ人たちとの接触に晒されることとなりました。

1885年にスペイン領東インドの一部になり、以降、ヨーロッパ、日本、アメリカ合衆国に統治されます。

 

1899年、国力が衰退していたスペインは、ドイツ帝国にスペイン領東インドを売却し、パラオは、ドイツ領ニューギニアの一部となります。ドイツ帝国は、ココナツ、タピオカ栽培、リン鉱石採掘を行いましたが、パラオがドイツ帝国にもたらした富はパラオの一般市民にもたらせられることはなく、道路、水道などのインフラ整備、現地人への初等教育はほとんど行われませんでした。このため、スペイン、日本統治時代の遺構、遺跡に比べると多くは残されていません。

 

「ジャーマン・チャネル」ドイツ帝国が作った、採掘したリン鉱石を運ぶ時間を短縮するために作られた水路。今でも船舶の通り道として活用されています。チャネルはマンタ(オニイトマキエイ)の通り道になっていて、ダイビングポイントとしても人気です。

 

日本統治の始まり

第一世界大戦が始まり、当時連合国の一員だった日本が海軍をパラオに派遣し、ドイツ守備隊を降伏させてこれを占領しました。第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、日本の委任統治が始まります。

 

パラオのコロールに南洋庁が設置され、多くの日本人が移住し、農業や漁業、養殖業などを営んでいました。このため、現在に至るまでパラオの言語や文化には日本の影響が見られます。ドイツ帝国の統治下ではほとんど進まなかった電気や水道、学校や病院、道路や公的施設など社会的基盤の整備、貨幣経済への移行が重点的に行われました。これにより1920年代頃には、首都コロールは近代的な町並みへとその姿を変貌させます。

現地の人々を積極的に日本化しようとせず、委任統治の責任として、日本人でパラオの経済の仕組みを作り上げて、そこにパラオ人を入れていくスタンスを取ったと、母親がパラオ人、父親が日本人の元駐日大使の故ミノル・ウエキ氏は述べています。

日本語による学校教育が現地人に対しても行われ、現在でも日常的に使われる日本語があります。

横浜-サイパン-パラオの間に民間航空路が開設され、のちにパラオを起点として南洋島内を結ぶ空路も開設されました。

 

第二次世界大戦が始まると、コロールは海軍の重要な基地として北西太平洋方面の作戦拠点となり、そのために、連合軍の攻撃対象となり、ペリリューの戦いなどで日米両軍に多くの戦死者が出ました。

残された砲台が、今なお海を臨んでいます。

日の丸とパラオ国旗は似ていますが、青い太平洋に浮かぶ月がデザインされており、パラオ国旗をデザインしたジョン・ブラウ・スキーボング氏は日の丸との関連性は無いと述べています。

 

日本からアメリカへ

日本の敗戦で、国際連合の委託を受けアメリカ合衆国はパラオを信託統治下におきました。

アメリカ合衆国は、教育や福祉健康には援助を行いましたが、日本のように産業開発には投資は殆ど行わず、アメリカ合衆国のマーケットになりました。

英語による教育が行われるようになり、英語での高等教育は受けることが出来ましたが、パラオ人による産業開発は殆ど行われなかったので、経済はアメリカの援助に依存し、農業などの肉体労働は、出稼ぎ労働者が担うようになります。

産業開発に力を入れた日本の姿が思い浮かびます。

 

食糧がアメリカ合衆国から新たなマーケットの一つとして豊富に供給されたので、蛋白源が伝統的な魚介類から輸入肉製品中心となり、肥満の問題も発生しています。

 

パラオ独立へ

パラオは、アメリカ合衆国を施政権者とする国連の太平洋諸島信託統治領の一部を構成していましたが、ミクロネシア地域独立の動きが強まる中、パラオは単独で独立する道を選び、1981年、パラオ憲法を発布して自治政府を発足させました。

パラオ独立の条件とされた内政・外交権はパラオが、安全保障はアメリカ合衆国が担うものとしアメリカ軍が駐留する自由連合盟約を締結させますが、「非核憲法」を持つパラオ憲法に抵触することから住民投票は否決が続き独立は大幅に遅れますが、憲法修正の末自由連合盟約は締結され、1994年10月1日に独立し、国連による信託統治が終了し国連にも加盟しました。

 

 

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【参考】

パラオ – Wikipedia

三重県|国際交流(友好・姉妹提携):パラオ概要 (mie.lg.jp)

Diplomacy.doc (live.com)

パラオの歴史 (palau-smile.com)

歴史 | パラオの基本情報 – ココ夏ッ通信PALAU (coconuts-shin.com)

ジャーマン・チャネルの魅力・地図・行き方【JTB】

在パラオ日本国大使館 (emb-japan.go.jp)

日本とパラオの関係 – Wikipedia

日本がパラオに残したレガシーは?:ウエキ元駐日大使に聞く | nippon.com

新・エイゴは、辛いよ。―第四回 パラオ・ペリリュー島編― : 財務省 (mof.go.jp)

この記事を書いた人

瀨尾 秀

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